春と修羅|Haru to Shura のレビュー
不思議な世界を歩く主人公をピクセルアートで描く、短編アドベンチャーゲームです。
アプリID | 1352910 |
アプリの種類 | GAME |
開発者 | MIYAKOpubl, Studio Pixel |
出版社 | MIYAKOpubl |
カテゴリー | シングルプレイヤー, Steamの実績, 部分的なコントローラーサポート |
ジャンル | カジュアル, インディー, アドベンチャー |
発売日 | 24 6月, 2021 |
プラットフォーム | Windows |
対応言語 | English, Simplified Chinese, Japanese |

90 総評
82 ポジティブなレビュー
8 否定的レビュー
非常に肯定的 スコア
春と修羅|Haru to Shura は合計 90 件のレビューを獲得しており、そのうち 82 件が好評、8 件が不評です。総合スコアは「非常に肯定的」です。
レビューのグラフ
上記のグラフは、春と修羅|Haru to Shura のフィードバックの傾向を示しており、新しいアップデートや機能が導入された際のプレイヤーの意見の変化を視覚的に表しています。このデータを通じて、ゲームの評価の推移を理解できます。
最新の Steam レビュー
このセクションでは、{name} の最新 10 件の Steam レビューを表示し、さまざまなプレイヤーの体験や感想を紹介します。各レビューの概要には、総プレイ時間、肯定的・否定的な反応の数が含まれており、コミュニティのフィードバックを明確に示しています。
プレイ時間:
464 分
普通に面白かったです!でもストーリーは結構難しかったな…。
👍 : 1 |
😃 : 0
肯定的
プレイ時間:
271 分
耽美系少年愛を主題にしたと思われる2Dアドベンチャーゲーム。
実績埋めをする場合は先に[url=store.steampowered.com/news/app/1352910?emclan=103582791467705584&emgid=2953786887319626272] 春と修羅 非公式 爆速モードのご案内 [/url]を確認する事を勧める。
正直に書くがこのゲームはまるで趣味に合わなかったため楽しめなかった。
簡単に説明すると唇艶やかな美少年(片方は少年というより青年のようだが)ふたり![spoiler] 病院 [/spoiler]![spoiler] 生と死 [/spoiler]![spoiler] 思春期の潔癖さ [/spoiler]!といったキーワードで想像されるストーリーがそのままお出しされる。
グラフィックも少なくとも1枚絵は奇麗(美少年の絵しかないが)だし、テキストも読ませるし、演出だって悪くない。
孤独ではあったが共感しあえる無二の相手を見つける事が出来た美少年達。しかし[spoiler] 根本的な所で分かりあえておらず悲劇的な別れ [/spoiler]を想像させる…。
とかそのスジの人達にはたまらないのも理解できる。
しかしこういうのは私の趣味ではないのだ…。
物語の大部分で主人公に「島を脱出する」などの行動の動機というものが欠けていてただひたすら流されるだけなのも好きではない。
結論としては耽美系少年愛を主題にした少女漫画が大好物な人にお勧め。
そういうの趣味じゃない人は避けた方がいい。
👍 : 4 |
😃 : 0
否定的
プレイ時間:
207 分
元々は、同じ製作者さんの『紅茶カルテ(未リリース)』を遊びたいと思い、情報を追いかけていたのですが、該当作品は『春と修羅』の後日談的ゲームだとのことで+リリース3周年セールをしていたので、遊んでみました。
まずグラフィックが良いです…!
ドットイラスト・グラフィックで、簡単な操作性だったため、ストレスなく遊ぶことができました。(画面酔いの心配もなし)
情報量を最小限にしたグラフィックだったので、とても画面が見やすかったです。
そしてストーリーは、[spoiler]主人公チヒロとヨルのボーイミーツボーイ、体感ブロマンスな湿度がとても素敵でした。
エンディングも複数あり、ユートピアにとどまり続けたり、世界と心中したり…トゥルーエンドでは、限られた時間の中で共に生きていくという儚くも美しい終わり方で、個人的に琴線に触れるものがありました。[/spoiler]
ミニマルなグラフィックと音楽、そして情緒のあるストーリーが好きな方にはおすすめです。
👍 : 1 |
😃 : 0
肯定的
プレイ時間:
153 分
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
みんなのおのおののなかのすべてですから
『春と修羅』 序
このゲームは、平凡な男子高校生チヒロと謎めいた青年を主人公にした物語です。
率直に言えば、男同士の関係性が中心に描かれ、そこに「生と死」というテーマが絡みます。
女性向けの作品、とだけで済む話ではないようです。
―これはただの夢だと片付けることもできる。君にはその資格がある―
『春と修羅』は多くの人によって解説されてきた作品です。
「春」と「修羅」という言葉は、全く相容れない対極的なイメージです。
「これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です」
光と影、生と死、あるいは人と他人は相反するものなのでしょうか。
説明するまでもなく表裏一体の"言葉"です。
世界は個々の内面に宿り、同時に個々は世界の一部でもあるのです。
人は一人では何も変えられず、変化する者は内なる多様性を持つからこそ動けるのでしょう。
「たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします」
世界が嘘であっても、みんなの世界が嘘であっても、私が世界を確かだと言えなくても、
ある程度の共通認識や意識は少なからずみんなの潜在意識にあったのです。
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
みんなのおのおののなかのすべてですから)
個々たる我というのは自分だけでは完結せず、みんなの夢幻に実は存在するということ。
自分自身の存在だけが世界を成しているわけではない。
「春と修羅」という4文字には、宮沢賢治が抱えた「生と死」の葛藤が凝縮されている…と思いたいです。
賢治にとって残酷な生と死は、春に咲く修羅のような、もしかしたら共存する存在だったのかもしれません。
このゲームを味わうなら賢治の「心象スケッチ」を哲学的に紐解く視点が、新たな深みを与えてくれるでしょう。
-2025/04/04 修正
👍 : 1 |
😃 : 0
肯定的
プレイ時間:
164 分
1枚絵のピクセルアートがとても美しい作品でした。
ストーリーも面白かったです。
良い感じにセーブを分けられていたようで、3時間弱でエンディング1~5を見ることが出来ました。
周回するならイベントスキップがあると便利かなーと思います。
デモ版プレイ動画を投稿しておりますので、参考になれば。
https://youtu.be/g6sqt8PJmTA
👍 : 5 |
😃 : 0
肯定的
プレイ時間:
349 分
他ハードに移植されてほしいくらいよかった!
思わず実績を全部埋めてしまいました。
ゲーム情報サイトの記事を読んで、シンプルながら綺麗なドットと不穏なキーワードがいいな~と購入しました。
実際もそのとおりだったのですがそれだけではなく、雰囲気ゲーなんて言葉では留まらない良さがありました。
良かった点や特徴
・謎めいたセリフや演出が上手く、「それってどういうこと…!?」という気持ちでどんどん進められる。
・しかも移動方法にダッシュがあったり、次になにをしたらいいか示してくれるところもあって親切。
・犬状の生き物とおばけみたいなキーキャラクターがどちらもシンプルながら愛らしい
・セリフが読みやすく愛嬌がある。持ってますよ、大型二種!
・主人公にセリフがないので、プレイヤーの解釈によっては友情にもブロマンスにもなりえる?
一番よさそうなエンディングまで2時間ちょっと、実績100%まで6時間くらいでした。
落ち着いたゲームやエモや哀愁を求めるときにぜひ!
👍 : 3 |
😃 : 0
肯定的
プレイ時間:
397 分
短編アドベンチャーゲーム。残虐なシーンや流血描写アリ(でもグラフィックがドットなので軽め)。異常な世界に迷い込んでしまった主人公がその世界の住民と一緒に世界の謎を探ろうとする話で、一周クリアするまで2時間ちょいぐらい。
ドットのグラフィックに惹かれて購入したけどストーリーも面白くて、思わぬ収穫でした。不満点はメッセージのスキップ機能がないことぐらい。
[b]◆GOOD[/b]
・ドットで描かれた一枚絵がどれもすごく綺麗でした。それ以外のグラフィックもレトロで好き。
・ストーリーが面白かった。ちょっと悲しいけど綺麗な話です。[spoiler]ハッピーエンドとは言い難いけど僅かに救いのあるラストも良かった。[/spoiler]
・短いゲームなのにキャラクターが魅力的に描かれている。特にヨルがお気に入り。数少ないまともな人間で主人公の一番の理解者、[spoiler]でも無自覚なだけで実は一番……っていうギャップがイイ[/spoiler]。
・こまめにセーブをとっておけばEDは一周でコンプ可能。そのほか、次に何をすればいいか教えてくれるシステムもあるので探索するゲームが苦手な人に親切。
👍 : 4 |
😃 : 0
肯定的
プレイ時間:
162 分
[h1]エデンとは誰しもが幸せになれるものなのか[/h1]
2Dスクロールアドベンチャー。
迷い込んだ世界「エデン」の謎を紐解いていくこととなる。
シナリオの要所要所に差し込まれる一枚絵がとても美しく、心情をとても表現している。
とても難解なようで、独特な世界観のエデンだが、最後には納得の行く内容に落とし込んであるため、モヤモヤと終わることもない。
余談だが宮沢賢治の同名の詩集と直接の関係はない。
●良かった点
・非常にエモーショナル
・難しいアクション等はなく、文学のような世界観
・美麗なアートワーク
・プレイ時間2~3時間程度でサクッとプレイできる
●人を選ぶ点
・難解な世界観(短編小説読む程度の理解力が必要)
・流血表現(ピクセルアートなのでかなりライトではある)
・小動物の死
👍 : 7 |
😃 : 0
肯定的
プレイ時間:
700 分
[h1]夢か現か…?不思議なアドベンチャー[/h1]
サマセでチェックをしているときに
何となくジャケ買い…からの
衝撃を受けた作品
タイトルから察する人もいると思いますが
宮沢賢治の詩の世界が下敷きになっています
ドット絵で描かれる世界と演出がとても美しい作品です
多少の出血表現あり(気分が悪くなる系ではありません)
・操作方法
方向キーで移動、zで決定、Shiftで走ります
アイテムは大体使い切りなのでインベントリとかはなし
セーブは本棚で出来ます
セーブスロットは3個
・エンディング
マルチエンディング方式です(1~5まで)
分岐はわかりやすいので
アドベンチャーが得意な人ならば
困ることはないと思います
スムーズにいけば5時間程度でクリアのボリュームですが
かなり満足しました!
全実績解除は…もうちょっと周回しないとです
(セーブデータをうまく利用できればもっと短い時間でもいけるかな?)
主要人物は男の子と男の子ですがアレな要素はありません
多分…。
追記
すべおめすることが出来ましたので
実績のガイドを作りました
プレイする方良ければ活用してください
https://steamcommunity.com/sharedfiles/filedetails/?id=2545222842
Steam Curatorでも紹介しました→3D酔いでもゲームがしたいhttps://store.steampowered.com/curator/41056472/
👍 : 23 |
😃 : 1
肯定的
プレイ時間:
386 分
開かれた言葉としての「春と修羅」
はじめに書いておくべき点として、この「春と修羅」は、おそらく多くの人がタイトルくらいは知っているであろう宮沢賢治の「春と修羅」の内容をゲームに落とし込んだ、といった作品ではありません。ましてや他の有名な賢治の童話などとも世界観は異なり、挿入される詩なども賢治のそれとは別のものです。
ではなぜ、そんな内容で「春と修羅」なのでしょう。この点について、宮沢賢治の「春と修羅」が、どういった心的・時代背景で書かれた詩集であるか、やや込み入った解説が必要になります。(賢治は「詩」ではなく「心象スケッチ」であると述べていますが、本稿では便宜上「詩」で統一します)
大正13年(1924)に自費出版された「春と修羅(第一集)」は、大正11年初頭のころから、22ヶ月の間に書かれた詩稿をまとめた詩集です。ここには、賢治の後半生において最も重大で、傷心の深かったであろう出来事について書かれた詩が収められています。それは「無声慟哭」と内題された一連の詩であり、そこに描かれた妹トシの死の以後、賢治は半年ほど詩作が途絶えたほどです。「無声慟哭」の書かれた日付が1922年11月27日で、次の「風林」は1923年6月3日となっています。その「風林」から連なる青森・北海道・樺太旅行中の心象を描いた作品にさえもトシの死が色濃く影を落とし続けている点も、賢治の喪失感の大きさを物語っています。
とはいえ賢治はそれら「オホーツク挽歌」などの詩作を通じ、トシの死とともに行きてゆく心的境地を得たのでしょう。「春と修羅」終尾ちかくに収録されている「鎔岩流」は、以下のような詩句で結ばれています。
(あれがぼくのしゃつだ
青いリンネルの農民シャツだ)
北上山地の景色に野良着の柄を見たこの詩は、内に秘めた決意をあらわしたものでしょう。賢治はこの後、郡立稗貫農学校(花巻農業学校)での教職を三年半ほどで辞し、大正15年(昭和元年・1926年)4月からは川口町下根子桜(現・花巻市桜町)で独居自炊の生活を始めます。そして8月16日には「羅須地人協会」を設立し、農業指導と並行して「農民芸術概論」などを説き、農本主義的生活に身を投じてゆきます。
当時、羅須地人協会のような農本主義的共同体構想が、ほとんど同時多発的に日本各地で勃興しています。たとえば第一次世界大戦の終結した大正7年(1918)9月には、武者小路実篤の「新しき村」、また橘孝三郎は大正5年(1916)頃から農業を始め、二年後にはそれが「兄弟村」と呼ばれるまでに発展します。
その背景に共通するのはすさまじいまでの農村の窮乏であり、橘孝三郎は彼のもとに参じた青年のもたらした出納帳を見て愕然としたといいます。その青年の家は3ヘクタールほどの耕地を持つ平均的な中堅農家でしたが、家計の大部分を食費が占め、主な食生活は米と味噌汁と野菜だけ、食卓に魚が乗ることは年に2、3度しかなく、それより下の小作農はいったいどんなにひどい生活を送っているのか想像もつかない、というありさまでした。
賢治にも「春と修羅」第二集の序文で、教師時代に接した生徒たちの境遇について、
みんながもってゐる着物の枚数や
毎食とれる蛋白質の量などを多少夥剰に計算したかの嫌ひがあります
というふうに言及している一文があります。
賢治が生きた大正から昭和初期というのは、旧来の財閥系に資本の偏った経済成長で格差が拡大し、多くの労働者や農民が困窮していた時代でした。戦後の高度経済成長期を経て、一度はかなり広汎に達成された「一億総中流」のあとに生きている私たちには想像しがたい絶対的貧困と、不平等が蔓延していたのです。
賢治は大正6年から10年(1917~1921)にかけて、断続的にではあるものの東京に滞在し、大正バブルに沸く都市と、その裏で生活に困窮する多くの市民の姿は十分に認識していたはずです。一方で賢治は、先に挙げた橘孝三郎のような積極的なマルクス批判はしていないことから、当時興っていた(後進の地としての)東北振興論などもある程度肯定的に受け止めていたと思われます。そしてそれを踏まえた上で「みんなのほんとうの幸せ」を願い、己のミッションとして、はじめは農学校での教育、そして農業の発展を推進する羅須地人協会という方法論を選び取ったのでしょう。
羅須地人協会も橘孝三郎の兄弟村も、その結末はそれぞれに悲しいものでした。しかしそれらが何を希求して興ったのか、「春と修羅」出版からまもなく100年を迎えようとする今、私たちはよく考えてみるべきなのかもしれません。
もうひとつ、「春と修羅」というタイトルについても解説を加えておく必要があるでしょう。
「修羅」は賢治の作品に頻出する言葉です。賢治の帰依していた法華経に従えば、やはり仏法を守護する護法善神の阿修羅となりますが、この阿修羅は多様な性質・寓話をまとった神であり、また修羅という語じたいは暴力的なニュアンスを含んでいます。賢治の「修羅」はそういった雑多さを内包しており、(研究者によってさまざまな解釈はあるようですが)思い通りにならない、自在でない状態、また途方もない目標に向かって進んでゆく、といった状況をあらわす言葉として用いられています。
表題にもなっている「春と修羅」の詩では、
まことのことばはうしなはれ
雲はちぎれてそらをとぶ
ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
というように、美しい景色とは相反して苦渋に満ちた自らの様子を「修羅」と呼んでいます。また、先に挙げた「無声慟哭」では、
(わたくしは修羅をあるいてゐるのだから)
と今度は自身の在りようをあらわす隠喩ではなく、賢治をとりまく境遇について用いています。この場合の「修羅」は、生前は刊行されなかった「春と修羅 第二集」収蔵の、おそらくは農学校時代の教え子に寄せた詩「告別」における、
云はなかったが
おれは四月はもう学校に居ないのだ
恐らく暗くけはしいみちをあるくだらう
という詩句において説明されている「みち(羅須地人協会)」でしょう。この困難な希求もまた「修羅」ということです。
賢治の「修羅」は、ここに挙げたよりももっと多様で複雑なものであると思いますが、本稿での引用はここまでに留めておきます。
このように詩集「春と修羅」の紙背には、妹の死と向き合おうとする内的葛藤と、己のなすべきことに出会い、外の世界に歩み出てゆこうとする決意が隠れています。
そして、このゲーム「春と修羅」はたしかに、そのような「春と修羅」性に倣った物語です。そこには苹果(りんご)や小岩井農場や人と森を優しく隔てるような林は出てきませんが、開かれた言葉としての「春と修羅」がたしかに存在します。
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
みんなのおのおののなかのすべてですから)
と賢治は序文に書いています。このように言葉が開かれているからこそ賢治の詩は(地質学や仏教の言葉が無遠慮に散りばめられていることを抜きにしてもなお)難解なのですが、私たちは世を隔てた言葉の受け手として、その開放性の上で、光でできたパイプオルガンを弾いてもよいはずです。賢治がそれに目くじらを立てることはないでしょう。
最後に、冒頭で触れた「賢治のそれとは別の」詩について、すこし付言して本稿を終えたいと思います。
作中にはガブリエーレ・ダンヌンツィオの「声曲(もののね)」が挿入されています。ダンヌンツィオは賢治と同時代の(ただし年齢はずいぶん上)の詩人ではありますが、これはあくまで作品世界に情緒的な彩りを添えるためのものであり、特別に関連があるわけでもありません。
この詩は恋人と一緒に眠っている際の心情を官能的に描いたもののようなのですが、どうやら翻訳の過程でややニュアンスが変わってしまっているようです。日本語訳では
滴りの落つるを、はた落つるを
となっている部分は、イタリア語原文では
che dal mio cuore cade, lo stillante sangue (心から滴り落ちる血)
という表現なのだそうです。滴り落ちるものが「心の血」であることを知っておくと、ずいぶん哀切に満ちた夜の情景が浮かんできませんか?
この「声曲」の使われ方は絶妙で、作中の登場キャラクターがある人物を眺める際の想いがよく付託されたものだと思います。キャラクターの心情についてあまり直接的な説明をしない作品ですので、このあたりを心に留めておいてもらえると、より作品世界に同調しやすいのではないでしょうか。
👍 : 40 |
😃 : 9
肯定的